大塚古墳の石室

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大塚古墳の石室−中ノ浜四−一三


説 明 板(内容は右に記す)


石室内部

35 大塚古墳 の 石 室−中ノ浜四−一三

(町指定有形文化財・考古資料)

(説 明 板)

 この大塚古墳はもと大城にあったが、昭和十八年(一九四三)六月陸軍飛行場拡張工事の際発掘され、こゝに移し復元されたものである。この古墳は横穴式石室の円墳で、長さ南北三十六メートル、東西二十二メートル、高さ六メートルの盛土の中央に基底約三メートルの層土を底面として、砂層上に石室を営み、南方面に羨門を設け、玄室・副室及び前室の三室に区画されている。室内は床面から高さ約五十七糎の仕切石を使用し、奥壁にそい巾七十糎、側壁にそい巾四十糎に区画されている。天井石の上さらに高さ約二メートル、径約六メートルの積石が施され、円筒埴輪片が出土している。内部は久しい苦、盗賊に荒されたらしく貴重な物とて殆んどなく、石室内奥壁の区画からガラス製首飾、石蓋上から錆びた鉄刀側壁区画から錆びた短甲・鉄刀、玄門の外西方隅から金環一対・短甲・鉄刀が出土した。純金環・首飾・刀剣類・円筒埴輪の破片は芦屋町立歴史民俗資料館に展示してある。

※この古墳は千四百年前のこの地方の豪族の墳墓ではないかといわれている。発掘作業は当時の軍及び関係者の制約のもとに行なわれたので、状況の詳細は明確を欠ぐところが多いが、地元有志や安高團兵衛氏などの懇願により、大城よりここに移築復元されたのである。(芦屋町誌)

※ちなみに三里松原・鈴の松原・岡田宮跡・御手洗(おちようず)の池・官道御牧道(おまきみち)・天狗の切松(きりまつ)・船原(ふなばら)等古来の名所旧蹟が数多くあったが、旧日本陸軍がこの地に飛行場を建設するにあたり、これ等の史蹟や名勝は惜しくも姿を失ってしまった。(芦屋の栞)