法 華 宗 庵 跡−(浦区)山鹿16−3

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南無妙法蓮華経一字一石の碑
右記の日諦さんの布教活動により入信、ここに寺を
先祖達が建てたとの事だ。
その時の碑である。


説明をしていただいた堀江さん


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46 法 華 宗 庵 跡−(浦区)山鹿一六−三 (堀江正行宅)
◎南 無 妙 法 蓮 華 経一字一石 の 碑 −
              明治三十四年(一九〇一)二月
              (八幡)龍潜幸五十八代日諦
    藤野 金蔵   堀江定次郎   野間吉兵衛
    大石 曇七
※自訴上人 − 祇園山龍塔寺第五十八代住職
天保十二年(一八四一)四月七日筑前国遠賀郡前田村に生れ五才のとき母親に死別、母方(上野姓)の祖母に育てられた。十三才の春小倉立法寺の日和上人の弟子となり剃髪。江戸・加賀・駿河・下総国で仏道に刻苦精励され、元治元年(一八六四)十二月故郷前田村に帰ったが、父の怒りにあい再び修業に旅立つ。明治十年(一八七七)千葉県小湊の誕生寺に入り、同十三年には僧正の位に叙せられ、誕生寺第五十八代の栄職にあること六ケ月、明治十五年(一八八二)宗祖六百年忌終了して帰郷、前田の地で二十有余年教化の生活に終始され、明治三十八年(一九〇五)七月二十四日六十五才で遷化された。龍塔寺のことを里人は日諦さんとよんでいたがそれほど仁徳のあった住職であった。(八幡市誌)