観 音 堂 −(元町区) 山鹿12−51 板碑に謂れが書いてあった。 老賀の石柱(左) − 大正十二年(一九二三)七十四歳之春 小 野 派一 刀 流 稲永久四郎基正之碑 − 門人中 卓錫泉の碑 − 宝暦十三年(一七六三)十一月 石 垣 − 基正 七十二才冬と石碑が埋め込んであった。 石 段 − 明治四十三年(一九一〇)四月。 石 柱 と 水 盤(右) 子 安 観 世 音 菩 薩 (坐像) か 十 三 仏 − 大正二年(一九三一) 波多野 忠蔵 弘 法 大 師 (立像)南無大師遍照金剛 (2009-7-5AM10:57撮影) ”なぜ・・・”何故こんな事をするのか・・・憤りを感じる。 (2010-5-30AM11:51撮影) ああ情けない 堂 宇(右にチラッと見えている) -本尊 十一面観世音 島郷四国第三十二番札所 西国第十八番札所 ![]() ![]() 観 音 堂 (金剛寺) 島郷四国第一番、札所 石祠 謂れは判りません |
32 観 音 堂 −(元町区) 山鹿一二−五一 臨済宗で法輪寺に属す。本尊は聖観世昔菩薩で行基菩薩の作と伝えられている。昔は善慶禅寺という古刹であったが、現在は一小字(こあざ)として昔の名残をとどめているのみ。 ◎老 賀 の 石 柱 − 大正十二年(一九二三)七十四歳之春 嘉穂郡稲築村鴨生 金丸 武久 八幡市徳廣町 田中賢一郎 朝倉郡小石原村 北村 昔吉 遠賀郡底井野村 明石 菊松 仝 郡 全 村 北村アキノ ◎小 野 派一 刀 流 稲 永 久 四 郎 基 正 之 碑 − 門人中 御許可 明治四十二年(一九〇九)十月十五日 ◎卓 錫 泉 の 碑 − 宝暦十三年(一七六三)十一月 秋枝勘次郎廣利捨浄財穿此井以寄附禅廣禅院 ◎石 垣 − 基正 七十二才冬 ◎石 段 − 明治四十三年(一九一〇)四月 稲永 久 賀父母六十一 ◎石 柱 − ◎水 盤 − ◎子 安 観 世 音 菩 薩 (坐像)− 大正三年(一九一四)十月 百姓町 ◎十 三 仏 − 大正二年(一九三一) 波多野 忠蔵 ◎弘 法 大 師 (立像)南無大師遍照金剛 − 弘法大師千百年御遠忌記念 昭和九年(一九三四)一月 堀江幸太郎 鶴原佐七 鶴原福松 柴田多平 ◎堂 宇 − 島郷四国第三十二番札所 本尊 十一面観世音 西国第十八番札所 ◎観 音 堂 (金剛寺)− 島郷四国第一番、札所 本尊 弘法大師 |