城 山 神 社 −(三軒屋) 山鹿六−三〇

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鳥 居 − 明治十五年(一八八二)一月
幟 立 石 柱 − 嘉永六載(一八五三)正月


庚 申 尊 天


裏側 寛保二年(一七四二)九月魚町商人中


猿 田 彦 大 神 − 文政五年(一八二二)四月


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23 城 山 神 社 −(三軒屋) 山鹿六−三〇

                (大君神社より徒歩三十分)

◎幟 立 石 柱 − 嘉永六載(一八五三)正月

    中西八右衛門  野間 貞次郎  三好市右衛門

    小田彦右衛門  小田 半三郎

    小田 彦四郎  中西 彦九郎  久枝  孫平

    小田 喜四郎  香月  源平

◎鳥 居 − 明治十五年(一八八二)一月

    小田 彦七郎  高椋 忠次郎  小田  彦吉

    野間  定平  中西  幸□  鶴原  茂七

    平橋  利吉  小田  彦治  白石  □八

    塩田 甚三郎  中西 藤次郎

    田川  □□  重岡 □四郎  久□  □一

    三□市右ヱ門  守田  吉平  福沢次右ヱ門

    波多野 忠蔵  秋山  □助

    小田  □吉  □田  口六  □□  忠平

    塩田  福□  三村平石ヱ門  井上  甚平

    中西  ロハ平  中西  □次  野間 藤兵衛

    小田  安郎  小田 彦十郎

    大山 惣兵衛  □野善右ヱ門  津田  徳平

    岡崎  □平  戸田  吉平  占部 兵次郎

    香月  蓄蔵  石田  源蔵

    塩田  武□  久枝  吉□  □本  文七

    稲永 久四郎  清水由右ヱ門  守田良右ヱ門

    守田  安平  重松  伸助

    中西  市平  □□  三郎  石田  □□

    橋本 久次郎  橋本  又平  野間  利平

    森   市次

◎水 盤 − 昭和七年(一九三二)三月 社掌 千々和英一

    千 船 組   田中  忠雄  石田  新吉

    熊野  貞十  坂尾  春吉  井上 金兵衛

    吉永 岩太郎  藤原   氏  伊豆  利行

    梶田 恒次郎  三好 萬太郎  三原  レイ

◎庚 申 尊 天 − 寛保二年(一七四二)九月魚町商人中

◎猿 田 彦 大 神 − 文政五年(一八二二)四月

    小田 彦七郎  野間  定蔵  野間 藤兵衛

    中西  友次  小田 彦十郎  平橋  利吉

    塩田  孫蔵  井上  弥吉  中西  百松

        明治十一年(一八七八)六月臺石再建

◎社 殿 − 祭神不詳

※戦後数年まではこゝの高い所にあり石段も相当に高かったが、道路拡張の際に山を削って現在の位置まで下した。

※城山神社の夏越(なごし)祭り城山神社では毎年七月三十日を祭礼日として、夏越し祭りが催される。時計がやがて七時をさすころ、笛太鼓に誘われて社前に近づくと、麻の葉や人形(ひとがた)や紙垂(しで)を下げた大きな茅または菰の輪が、二本の竹に結ばれて鳥居一杯の大きな輪につくられている。祭典が進行して輪越しの行事に移ると、宮司の先導によって参拝者は先ず茅の輪の門の前に立ち「思うこと皆つきねとて麻の葉を、きりにきりても被いつるかな」と歌い輪をくぐって左へ廻り、前の位置にもどって第二回目の歌「みな月のなこしのはらする人は、千歳の命のぶと云うなり」と歌って右へ廻り、更に元の位置に立って第三の歌「宮川の活き流れに楔(みそぎ)せば、祈れることのかなわぬはなし」と歌って三度輪をくぐって左へ廻るのである。この輪越しの行事によって、身体のけがれを清め、流行病の多い夏を無事息災で暮らそうというのである。祭典が終ると氏子によって神輿の行幸が始まるのである。 (芦屋の栞)