安徳天皇行在所跡の碑 みちの反対側には大君神社と大君炭鉱斜坑跡ある 前に戻る
21 安 徳 天 皇 行 在 所 跡 の 碑 − 山鹿大君
(碑 文)
寿永二年(一一八三)七月平家一門は安徳天皇を擁して、九州太宰府へ都落ちしたが、豊後の緒方三郎惟義の軍に追われ悲惨な逃避行を続け、箱崎・香椎・宗像を過ぎ垂水峠を越え山鹿兵藤次秀遠のお迎えを受け山鹿城に籠られた。のち秀遠は此の地大君の茶臼山(比の上変電所の位置)に幼帝のため行在所を造営した。