日蓮宗芦屋教会所(今はもう無い) 跡地

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日蓮宗芦屋教会所跡地−(旧中小路)
今は何も残されていなかった。


2012年4月14日法華塔を見つけることが出来ました。


法華塔(天明四年(一七八四)八月)
もうないと思われていましたがやはりありました。



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65 日 蓮 宗 芦 屋 教 会 所−(旧中小路)

 幸町三−五

 芦屋歌舞伎役者尾上菊枝(きくし)(辰五郎)は熱心な日蓮宗の信者で、芦屋に日蓮宗の教会所を建てるため、信者達と毎年の寒行にリンをチーンチーンと鳴らしながら、町内を隅から隅まで廻った。菊枝の舞台で鍛えた名調子のお経を誰もが聞き惚れたという。町の人達は菊っさんが廻って来るのを待ってお賓銭をあげるので、いつも信者の一団からはるかに遅れていた。菊枝が念願していた芦屋教会所は大正十年(一九二一)に建ったが、菊っあんは開堂式を待たずその前年に六十三歳で亡くなった。(芦屋町誌)

墓は鶴松墓苑にある。芦屋役者最後期の人である。

◎法 華 塔 − 天明四年(一七八四)八月

これは天明の大飢饉のとき、餓死したものゝ供養のために建てられたものと思われる。施主の名は無い。山鹿城山(しろやま)の下権現堂鼻(ごんげんどうばな)にあったのだが、昭和二十七年芦屋町営競艇場が建設されることになったので、前年の二十六年に現在地に移された。(芦屋町誌)

◎本 堂 −