浜崎浦の石渡止

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浜崎浦の石渡止付近より玄界灘を望む
今は護岸工事が進み石波止の面影は薄いが
それらしい面影はいまだに残っていた。


浜崎浦の石渡止付近より遠賀川上流を望む

58 浜 崎 浦 の 石 渡 止 −(旧浜崎)

此所往昔冬に至れば毎年西北の風烈しく、海中の土砂を吹上げ洲口を吹き埋めける故、年を追うて河口浅くなり、船舶の碇泊も困難となれり。仍て延享二年(一七四五)芦屋の富豪俵屋清三郎(吉永氏)私財を以て同年八月新に石渡止築造の工を起し、同五年に至り竣工を告げたり。其の長さ六十間築留三間。これより後暫く風浪の患い無く、津中の生業漸く昔に復しけるに、幾程なく又荒浪の為に崩壊せられ、久しく修繕する人もなかりしかば、津中も次第に枯れゆくまゝに、斯ては津中の衰頽いかんの点に達せんも計り難しとて、津中協議の上、古波止を根拠として再び石垣を築きて堤上に松を植え、風浪を防ぐの謀をなせり。東西長さ七十六間隔敷六間天端二間なりき。此の波止明治十二年(一八七九)の頃に破壊し明治二十四年の大洪水にて大破損を来せしかば、西風の為め海中の白砂湊内に浸入し、山鹿浦の海岸に高洲を生じ漸次に上り渡場をも埋めんとし、芦屋の浜崎下も同じく洲を生じ、南郷間僅かに数間となれり。其の後県会の決議により破壊せる波止を修築せLより、やゝ復旧して目下の景況とはなれり。

 (遠賀郡誌)