火 切 地 蔵 堂

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堂 宇


水盤 −文久二年(一八六二)五月上旬


横は趣のある唐津街道で、真直ぐに粟屋に向かっていた。
手前の石碑は川筋通り

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46 火 切 地 蔵 堂 − 幸町五−二四

こゝの本尊は地蔵菩薩で里人は火切地蔵と云い、火除(ひよ)けのお地蔵様として崇拝されている。浄土宗光明寺の再興をした僧重与師が大永元年(一五二一)に建立したもので元禄十年二六九七)に再建。寛保二年(一七四二)十一月新町の大火(この火事は新町より出火し、船頭町の闇二十四区民家六百余戸四百余棟を焼失した程の大火災で当時禅寿寺・海雲寺も全焼した)の際に隣接地まで火炎につゝまれたが、この堂字は難をまぬがれたという。それから後は特に火難・延命・諸災難除けの地蔵として祭られるようになった。文久三年(一八六三)に補修あり。

◎水 盤 − 文久二年(一八六二)五月上旬

        芳□ □□ 惣儀

◎道 し る べ 石− 文久元年(一八六一)  .

 十八糎角高さ五十二糎にて折れているので堂内に保管してある。その一面には「新町」とあり、その左側の面には「濱口通」行(ぎよう)をかえて「川筋道」と彫りこんである。旧町名の幸町(しんまち)も以前は新町と云っていたのだろう。芦屋町では道しるべ石として残っている珍らしいものゝ一つである。

◎堂 宇

 遠賀 川西四国第八十一番札所

 本尊 千手観観世音