大 國 社 跡

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大 国 社 跡−(旧事町)白浜町四−二
今は白浜町児童公園である、


今は全て無し(内容は右記)


玉垣は岡湊神社へ移設以外は神武天皇社の境内の
片隅に野積みの状態であったらしく今は所在も判らなかった。

38 大 国 社 跡−(旧事町)白浜町四−二

 桑原伝次郎の代に畑を耕作中、その地中より金の大黒様が出てきた。それを祭神として祭ったのがこの大国社である。

 昭和五十四年に現地に再調査に行った時にはあったのだが、昭和五十五年にその前を通った時には、あとかたもなく無くなっていた。現在は神武宮の境内にまとめて横倒しになっている。

 岡湊神社の石の玉垣・大国社の鳥居・石碑その他神社の境内に移設してある庚申塚など元の所にあってこそ歴史的な意義があると思う。このように現代の人の考えだけで無造作に位置を替えることは、造った人やこれ等を献納した人の善意にそむくことではないだろうか。我々旧蹟をたづね歩く者にとっては、その意義のうすれてゆくことに寂みしさを感ずるのである。今は児童公園になっていてあとかたもないが、以前に調べたのを記してなごりとする。

◎鳥 居 (大國社)− 明治二十一年(一八八八)五月

◎水 盤 − 大正十一年(一九二二)二月

◎潮 千 石 − 明治甘一年(一八八八)八月

               吉田 徳蔵  中西 勘助

◎大 國 主 大 神 − 明治十八年(一八八五)七月