![]() 安 養 寺 |
33 安 養 寺 − 中ノ浜五−五二
慈雲山と号し真宗本派西京本願寺に属し中本山たり。天文十一年(一五四二)宗像氏貞の臣道恩、世の無常を感じ戦塵を厭い大城(だいじよう)に草庵を建てた。天文二十二年(一五五三)九月木仏寺の号を許された。始めは豊前国小倉永照寺の末であったが、慶長十九年(一六一四)藩主黒田長政の特別の意により、西本願寺直参末寺となる。寛永十年(一六三三)大城より船頭町に移せしを、元禄二年(一六八九)現在の地に移された。 (芦屋町誌) ◎門 柱 − 明治二十一年(一八八八)五月 永田喜五郎 ◎惣 門 − 享和二年(一八〇二)再建 ◎か な や の 松 の 碑 − 西本願寺門主様御銘 ◎鐘 楼 − 明治十八年(一八八五) 万徳寄進再建 ◎石 燈 籠 − 文久元年(一八六一)三月 破 闇 燈 親鸞上人六百回忌大法会 般 若 燈 小野 清次郎茂虞 ◎本 堂 − ◎恩 厚 の 碑 − 昭和十三戊寅年(一九三八)十月 門主御巡教記念 ◎親 鸞 上 人 立 像 (鋼製)− 昭和四十九年(一九七四)三月 本堂庫理改修記念 ◎燈 籠 − 小野 清次郎 ◎水 盤−明治二十□□ 石工 太閤水 八十吉 猪熊(いのくま)原田 三七 竹並(たけなみ)宮野 久八 ◎太 鼓 堂 − 明治二十四年(一八九一)美濃屋寄進 美濃屋五代目柴田芳之助(勘七)が亡父及先祖代々供養のため寄進建立したものである。美濃屋四代目柴田勘七は明治二十三年五月一日に没した。行年六十九歳。法名は信楽院釈宗真柔軟居士。美濃屋四代目柴田勘七は筆者の祖父にあたる。 ◎燈 籠 (東側入口脇門の所にある)− 小野 清次郎 ◎鬼 瓦 − 本堂の屋根にあったもの (裏の墓地に) ◎三 界 万 霊 塔 − 天保十一年(一八四〇) 安高 平六浮信 ◎江 藤 信 照 の 墓 − 明治十八年(一八八五) 安川 敬一郎 外 帯霞江藤信照墓とあり、辞世の句であろう次のようにしるされている。 父は芦屋町の大保正格で文政十年(一八二七)その二子として生れる。芦屋郵便局の初代局長で明治十七月一月に割腹自決したという。享年五十八歳。俳句をたしなみ帯霞と号す。 |