あだつみ
         
志賀 海 神社 −(岡湊神社の境内にある)

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岡湊神社の敷地内にある。志賀神社
鳥居 −住吉神社 志賀神社 船玉神社 −明治二十四年(一八九一)九月


漱盤 −明治三十一年(一八九八)十一月


燈籠 昭和六年十月建立



 潮井石 −明治二十九年(一八九六)一月 中西勘助


社 殿


貝原篤信が岡湊十二景の言葉を残している


鳥居の額には住吉神社 志賀神社 船玉神社と書かれてある。


岡南学校の跡の稗


旧玉垣 −天保五年(一八三四)二月


猿田彦大神 −青面金剛


門柱 −明治三十四年(一九〇一二ハ月 吉田 徳蔵


石燈籠 −天保四年(一八三三)二月再建

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 24 志賀海(あだつみ)神社 −(岡湊神社の境内にある)

  祭神  志賀三柱太神

      住吉太神 (明治四十年末に合祀す)

 里人はオシカさまと云い船魂の神さまである。昔は船頭衆が集まって祭りをしていた。また舟大工が寄り集まって大師講のようなものもっくっていた。

        

◎鳥居 −住吉神社 志賀神社 船玉神社 −明治二十四年(一八九一)九月

◎漱盤 −明治三十一年(一八九八)十一月

     中ノ濱寄附八  三浦 徳兵衛  中西  又七

     刀根  仁平  岩田 芳太郎  上原  平七

     野間  忠市  本田長石ヱ門  中西百右ヱ門

     吉田  善作  塩田  源三  村田徳右ヱ門

     矢野  清八  藤崎  庄市  太田  駒平

     守田 源次郎  吉田  弥平

◎潮井石 −明治二十九年(一八九六)一月 中西勘助

◎社殿 −

 (これより又 岡湊神社境内の事に移る。)

岡南学校の跡の稗 −

 (碑文)

明治五年(一八七二)に制定された学制の趣旨により、翌六年旧千光院を仮校舎として小学校が発足、八年五月市場区に移り芦屋小学校と称した。翌九年四月には岡湊神社の常設舞台を校舎として新らしく岡南学校が開設された。同十二年には芦屋小学校は船頭町区に移り岡南学校は合併された。

◎旧玉垣 −天保五年(一八三四)二月

旧玉垣は以前に数回修理したのだろう、セメントで着けたあとが数ヶ所あった。筆者が最初記録を取りにいったとき今にも倒れるのではないかと思われるのが数個あった。

昭和五十四年暮までは確かにそのまゝだったのが、昭和五十五年になって再調査にいった時には新規のものになっていて、こゝに記載の旧のものは西側の隅民家との境に、玉垣としてほば原型を保ち移設されているが、順序が変っているし数も幾らか減っている。現在の正面玉垣は昭和五十五年一月に新らしく建てられたものである。

昭和五十四年巷まであった旧玉垣の寄進著名記録をこゝに書きとどめる。

(判読できるもののみ正門左側よりの順序)

丸尾屋 源助  吉野屋 藤平  大坂 和泉屋源四郎

八百屋 儀平  吉野屋 利右ヱ門

備後備中華防長問屋中 世話人 祇園丸 助七

大坂生籠問屋中    世話人 耕天丸 兵助

穐月  犀三郎  大坂 吉野屋 茂兵衛

福田屋 藤次郎  入江   保蔵  刀根 七六正猶

吉田   文吉  守田  源□□  田中屋  茂蔵

□□屋  浜吉  □田 大八平興  毛利   定八

米屋 定右ヱ門  大和屋  良平  米屋  興次郎

須佐屋  定次  久野屋  長平  法印  智圓

□治屋  平吉  渡辺 兵蔵綱友  □屋  文三郎

田中屋 伝三郎  舛屋   半七  俵屋   清吉

江田  喜衛門  政所  国助  塩田屋 久次郎

塩田屋久右ヱ門 守田  宗助  矢野  嘉六

二村  善五郎  篠原  正兵衛  太田  喜平太

吉野屋  才蔵  麹屋 芳右衛門  添田屋  文吉

本松  金三郎  高濱屋 吉十郎  草屋   定助

萬屋   喜八  大城屋元右衛門  小田 喜右ヱ門

綿屋  十次郎  梶山  彦次郎  中西   善七

小林  弥一郎  美濃屋  勘七  美濃屋 清三郎

徳田屋  源作 当社市諸方出店中  塩田屋  右門

添田屋  賢蔵  防州柳井 室屋 武兵衛

防州田布施 蛭子屋伴右ヱ門

◎猿田彦大神 −青面金剛

          文政五年(一八二二)四月 上町中

※青面金剛

道祖神には多く庚申塔・庚申尊天または猿田彦大神と刻まれているが、これには猿田彦大神の背面に背面金剛と刻まれている。猿田彦大神は神であり、青面金剛は仏である。表と裏、背(せなか)あわせに神と仏の名が刻んである。神仏混淆時代のなごりかとも思う。芦屋ではこれ一つ、北九州でも非常に珍らしくまた注目に価する。

※青面金剛又は青面金剛明王とも言われている。青面金剛明王は背面とあるから、面相は青く目は真赤でギラギラと光っている。口は大きく牙をむき出しものすごい形相で、青いのは顔だけではなく体全体も青く、手は四本または六本、目が三っつで体には大小の蛇が巻きついている、ものすごく恐ろしい形相の仏様である。

◎門柱 −明治三十四年(一九〇一二ハ月 吉田 徳蔵

◎石燈籠 −天保四年(一八三三)二月再建

   芦屋町 小田 和蔵  山鹿魚町 小田 定右衛門