この風景は大正時代からあまり変わっていない 西祗園橋石板が付いている。昔は西祗園橋と呼ばれていた。
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昭和二十八年六月二十九日の豪雨により、新築のお地蔵様東方の新川は祇園橋にかけて堤防決壊し、民家も数軒流失した。
このとき祇園橋も共に流された。当時の祇園橋は橋脚が花崗岩の石柱で欄干は木製であったが、流出後はコンクリート製にかわった。欄干本柱には昭和十六年八月とある。 祗園橋を過ぎるとすぐ岡湊神社が左手に見えてくる。