![]() 芦屋粟屋排水路新設竣工記念碑 上の写真は浜口方面に向かって撮る。左手は芦屋飛行場です。 その昔は唐津街道が白い建物の先から飛行場内(当時は松林)を通り 宗像方向を撮る 2015年2月15日 お会いできましたので報告します。 吉明氏は農業を営んでおられます。 イオンのわいわいファーム http://homepage2.nifty.com/atakanouen/ への出荷など大変大きな農家でした。たいへんやさしそうな方で親切に 安高吉明氏 吉明氏から團兵衛氏に関する貴重なお話や写真を見せていただきました。
mまた、お爺様の團兵衛氏は、メモを取ることに関してでも半端ではない事が良くわかる逸話をお話くださいました。農作物を八幡方面に届ける道すがらお店で買った食べ物などの品名、値段までメモっていたらしい。それも同行した人の買い物までメモっていたから半端ではない。
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碑 文 粟屋排水路ハ、昔ヨリ北方国有松林内ノ低地二流水シテ居タガ、昭和十五年芦屋飛行場建設起工トナリ、国有林ヲ用地トシテ地均シ、工事ノ際排水路ハ埋没サレ、其後大降雨ノ時ハ粟屋区内凹地約四千坪ガ浸水シ、四〜五個所ノ宅地モ浸水、町里道モ約六十糎浸水セリ。此被害ヲ無クス為、安高團兵衛ハ町長県知事二陳情シ、遂ニハ農林省大蔵省二陳情請願シテ此排水路新設工事ヲ施行、昭和三十四年四月二十四日竣工シタリ。排水路ハ内径八十糎ノヒューム管ヲ二百十メートル埋設、工事費壱百七十六万円ハ国費支辨ノ申請、資料並ニ運動費等ハ安高自辨、排水流水土地約ニ反歩余ハ安高團兵衛所有地ヲ無償利用セシメタリ。 昭和四十二年二月建碑 安高 團兵衛 粟屋に生まる。家業は農業。自給自足、労力の調整、日夜精励を信念とし、夏でもひる寝一つしなかった篤農家である。時は金なりでなく、時は命なりといって各種の会合にはすべて時間厳守を励行した。農業技術の改良普及、多角農業を奨励して、商業的農業の経営に努力した。人は感謝の心をもって生活の基礎とすべきであると説いていた。また公私各団体の役員に推され、数々の委嘱をうけて努力した。飛行場の設置による、三里松原伐採にともなう防風林被害にたいする国の補償費問題、また畑地潅漑工事、粟屋排水路などの建設工事には、献身的な努力を惜しまなかった。また日本陸軍飛行場建設の際、大城において昭和十八年十二月二十三日発掘された大塚古墳の保存、移築、復元に大いに尽力された。昭和四十二年三月十九日七十歳で没した。(芦屋町誌)
お手柄團兵衛だんべえさん46年の日記
(広報 あしやより 文:歴史民俗資料館 山田克樹氏) |