粟 嶋 神 社−(柏原区)

 前に戻る


粟 嶋 神 社−(柏原区)狩尾神社参道の右側


水 盤(左下)−昭和七年(一九三二)七月 守田仙太郎


潮 井 石−昭和七年(一九三二)七月


社 殿



鳥居(粟嶋神社)−昭和七年(一九三二)三月

 前に戻る

59 粟 嶋 神 社−(柏原区)狩尾神社参道の右側

祭神 少彦名命

◎水 盤−昭和七年(一九三二)七月 守田仙太郎

◎鳥 居(粟嶋神社)−昭和七年(一九三二)三月

    社司 千々和英一

   小田 喜助 縄田 恒次郎 野間 徳蔵

   江藤 千太郎 堀江 幸太郎 佐野 傅一

   重岡 森吉 入江 清吉 久野 松次郎

    岸原  ヨシ

◎潮 井 石−昭和七年(一九三二)七月

                  久野むつの外五名

◎社 殿 −

※淡島信仰−粟島様

和歌山県和歌山市加太に鎮座する淡島明神(旧称加太神社)に対する信仰である。この神は一般に「淡島さま」とよばれて、婦人病に霊験あらたかな神として信仰されるが、これは加太神社が医薬神たる少名彦命を主神とするのに由来し、また加太の潜女(かつぎめ)がどれを氏神としていることにもよる。俗説では淡島明神は住吉神の妃神で、帯下(こしけ)の病のためうとまれて、この地に流されたという。(大日本百科事典)

※元禄のころ「アワシマ」と呼ぶ一種の乞食願人が淡島明神の神座を背負って諸国を巡歴し、その縁起を声高らかに唱え、婦人病に悩む女性に信仰することを勧めたという。衣類や髪・かげた櫛や笄・穢物などを集めて歩く風があった。彼等の建てたという淡島堂が諸所にあり、周辺の婦人連の信仰を集めている。