山鹿小学校跡の碑と 校門の石柱 −(浦区) 山鹿17−16

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山 鹿 小 学 校 跡 の 碑


校 門 の 石 柱


碑 文

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40 山 鹿 小 学 校 跡 の 碑 と

     校 門 の 石 柱 −(浦区) 山鹿一七−一六

 (碑 文)

明治六年(一八七三)三軒屋に鹿門黌舎として創設した本校も、明治十五年(一八八二)この地に新築移転し爾来九十年、その間校名の改称、校舎の拡張等の変遷を辿り乍ら、特色ある教育の実践と輝かしき実績を挙げ、其の成果は旌表旗を受領する。特に教職員の情熱と地域住民の協力により多くの有為の人材を世に送るも、昭和四十六年(一九七一)新校舎の完成と傅統ある不滅の校風を樹立せし誇りある校舎も取壊さるゝ運命とはなけぬ、あゝ今この地に倖み松籟と潮騒を聞くに追憶胸を打ち、教えしもの学びし者ひとしく感慨に往時を偲ぶであろう。この懐しき学舎の故郷を忘れぬため朝夕仰ぎ見て登校せし校門を移設して此の碑を建つる。

  昭和五十年(一九七五)一月 芦屋町立山鹿小学校後援会※旌表旗の由来は28芦屋尋常小学校跡の碑の項に記した。

山鹿小学校では旌表旗の歌を作り、校区の氏神である狩尾神社の祭日に、旌表旗を先頭にこの歌をうたって校区内を行進し、神社に参拝後は柏原の浜で運動会をし、終了後は親子ともども附近の松原にて昼食を楽しむ等、今尚学校の歴史的行事として残っている。(崗五号 柴田正生)