総 門 |
30 大 願 寺−(万町区) 山鹿一三−二 大願寺は皆栗山と号す、本尊阿弥陀如来(坐像高二尺)開山聖(しよう)光(こう)上人作と云伝え腹帯如来と云う。浄土宗鎮西派本山西京智恩院に属し中本山たり。開山聖光上人順徳院建保二年(一二一四)創立す。此の時の領主麻生氏の菩提所なりしと云う。 文禄三年(一五九四)の火災に焼失して其後は草庵を結び居たりしを、慶長七年(一六〇二)経誉利頓(けいよりとん)と云う僧中興せり。 方丈は宗祖明照大師七百年忌記念の為め、明治四十四年(一九一一)壇家中の建築する所なり。(費弐千円を要せりと云えり) (遠賀郡誌) ◎ 総 門− ◎鐘 楼 − 明治四十年(一九〇七)一月 水巻村大字頃末炭坑主 三好徳松建立 ◎維 持 会 創 設 碑 1 昭和十七年(一九四二)一月 ◎三 好 徳 松 報 恩 記 念 碑 − 明治四十年(一九〇七)八月 三好徳松 ◎水 盤 − 明治甘年二八八七)七月 小数村 員懸□平 仝 吉郎 ◎石 井 翠 女 の 句 碑 − 昭和三十四年(一九五九)七月 堀江ユキノ 月生(あ)るゝ 繊きひかりの 春北風 (ならい)翠女 (裏 面) 石井翠女 本名 カツヱ 昭和二十四年(一九四九)以来岸秋渓子の指導により作句をはじめ雲母に属す。昭和三十三年(一九五八)表記の句により飯田蛇布達の毎日俳壇當を受く。福岡県立直方高等学校在職中同年十一月二十七日四十二才にて逝く。 ◎本 堂 − 島郷四国第三十番札所 本尊 阿弥陀如来 ※本尊阿弥陀如来を腹帯(ふくたい)如来ともいう。 香月吉祥寺にもある。吉祥寺のある所は聖光上人の生誕の霊場で、当時香月城主の家臣であった吉川弾左衛門則茂の子に生まれ、難産のために没した慈母の冥福を祈り出家し、産屋(うぶや)の跡に寺を建て、腹帯阿弥陀如来像を刻んで、その寺に納めた。山鹿大願寺は聖光上人の開山である。原木(げんぼく)のもとの部分で吉祥寺にある腹帯如来を刻み、すえの部分で刻んだのが大願寺にある腹帯阿弥陀如来であると云う。 (遠賀郡誌) ◎惣 本 山 知 恩 院 直 末 表 碑 − 天保六年(一八三五)九月 秋枝八郎廣温 野間藤右衛門 藤江政右衛門 桑原定右衛門 ◎六 角 堂 − 白石直太郎の父宇八(卯八)が、祖先冥福供養のため建立したものである。家号は「こはた屋」とて米屋をしていた。 |