5 庚申尊天 −粟屋(粟屋バス停西側)(徒歩三分)
(判読不明)
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庚申尊天
車では電信柱などで判りづらく通り過ぎてしまうように、こじんまりとひっそり建って、見つけにくい。
だいたいの形を予備知識として持っていたのでこれが、庚申尊天と判るくらいだ。
昭和57年発行の芦屋町郷土誌「崗」によるとまだ文字はかすかながら見えていたそうであるが今は判読できなかった。その文を載せる。
路傍の神仏
野間 栄氏
粟屋からいわゆる西郷(にしごう)(岡垣町)へ通ずる道路ばたに笠塔婆形式の高さ台石共約五尺の石塔がある。古くから現在の位置にある砂岩性のこの石塔は「たぐりの神さま」と区の人たちは呼んでいる。正面の四文字は「庚神奠天」とわずかに読みとれる。咳に霊験があるといわれ、祈願をして全快すると、そのお礼に豆腐を供えたという。
いまは道路拡幅のためにとり除かれてしまったが、自然石の「さいの神」という石塔があった。さえの神ともいい旅行の安全を守る神で道祖神などともいう。粟屋の人達は「わらじ神さま」といって、足を軽くする神さまとして信仰していた。祈願のために多くの草鞋が供えられた。この石塔のそばに大きなタブの木(やぶ肉柱)があったが、これを切ると災難があるとされていた。「わらじ神さま」もタブの木も車時代の犠牲となって姿を消してしまった。