耕地整理顕彰碑

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36 耕地整理顕彰碑− 中ノ浜一〇−五四

 (芦屋中学校運動場西側隅)    昭和四十七年三月

 明治三十九年から遠賀川改修工事が始められ、中流下流にわたって川幅の大拡張が行なわれた。

 工事は大正期に入っても続けられたが、芦屋町は児から島門(しまど)村広渡地区(現在遠賀町)の排土利用による耕地整理の施行をすゝめられた。芦屋町字柳ノ丸・実蒔・高浜全領域の民有地約二〇町歩は、砂質の畑地で生産力に乏しく、また土地の高低がひどいうえに、各所に潅漑用の走りこみが散在していたので、雨期になると西川からの逆流で一面水びたしになるという状態だった。地形は乱雑で道路は曲りくねり、住宅地をつくるには不向な土地であった。耕地整理はこの地域に施行されることになった。

 耕地整理発起者として桑原伝次郎・小野貞次郎・塩田久次郎・吉永重石衛門・長野佐二郎・太田玄太郎・松井重平の七名がえらばれた。運びこまれた土は高浜地区では厚さ約〇・六メートル、実蒔・柳ノ丸と西へ進むにつれて量は多く、柳ノ丸大国主の碑南側では約七メートルに近い埋築が行なわれた。

       (芦屋町誌)