宗祇の句碑

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宗祇の句碑(碑表)


宗祇の句碑(碑裏)

30 宗祇の句碑 − 芦屋町文化福祉センターの裏

川ひらたの前  昭和五十五年(一九八〇)十月四日

(碑表)

かくて程もなく、あしやになりぬ。真砂たかうして山のごとくなるに、松ただむら立ちて、寺々あまた見えわたる。民の家居蜑の苫や数ならず。川のむかひは山つらなりて、さまざまみすてがたき折から、時雨いさゝかうちそゝぎ、夕月夜さやかにさしのぼりたるなど、つくり合はせたるやうなり。   「筑紫道記」

  いつきかむ あしやの月の 夕しぐれ

 (碑裏)

宗祇法師は大内政弘のすゝめと手厚い庇護を受け、周防山口から筑紫路へと紀行、その道すがら文明十二年(一四八〇)十月四日芦屋に立ち寄り、麻生兵部大輔の饗筵にのぞみ、発句を所望され

  追かぜも 待たぬ木の葉の 舟出かな

と吟じ翌五日舟で立ち去っている。

※宗祇は室町時代の古典学、連歌の第一人者。足跡は東は日光・白河西は九州におよび、旅から旅をしていた。文亀二年(一五〇二)齢八十二才にて湯本に客死す。(日本歴史大辞典)※宗祇が芦屋に足跡を印したことを記念して、五百年後の月日も同じ十月四日に、こゝに宗祇の句碑を建てた。